歯科医院経営者レポート2009年7月号
健康経営を支える仁術
健康経営を支える仁術
世の中には何が正しいのかという見方をする人と、何が利なのかという見方をする人がいる。利己主義・ 出世主義・享楽主義等に毒されると、良心が腐敗し正邪の区別がつかなくなり、邪(邪心・邪悪・邪教)なことさえ分からなくなる。
失敗要因を自己に帰するとき、良識ある人は【悔しい】という想いを抱く。悔いるという心理は道徳的であり徳性を養う。利己主義者や弱者であっても失敗に悔いるが、耐えかねて責任を他に転嫁する。これを【怨み】といい、往々にして怨みは【憎しみ】に化けていく。はなはだ非人間的な心理は、人間の性質を歪ませ人性をも歪ませる。
☆仁術の真
患者が納得する診療は患者自身の受け止め方にもよるが、院長自身が納得した診療を患者に提供しているのかどうか、ということであり常に自問自答する必要がある。学べばまなぶほど自己の臨床レベルの体たらくを恥じ入るが、学ばなければ適当に誤魔化した施しで事を収めようとする。しかし患者を甘く見てはいけない、それは貧乏神を呼び込むようなもの。
日進月歩の歯科医療という視点に立てば、最新の診療技術と機器を駆使して、患者に対応するのも仁術に含まれ、その為にも経営が安定していなければならない。診療収入だけを念頭にするドンブリ経営ではなく、可処分所得に基づく健康経営を心掛けなければままならなくなる。巷でよく見かける私利私欲の経営観はやがて経営環境を悪化させる、ということを経済社会の歴史が教えている。
私は禾とムの会意文字で、禾は稲穂が大量に実って頭をたれている象形文字で、ムは稲穂を無理にねじ曲げて自分の懐に入れる意。スタッフ共々一生懸命頑張って稲穂を大量に実らせたにもかかわらず、公平を無視して自分だけで利を独占したら、何が待ち受けるのか?良識あるスタッフは居着かない。そのような院長であっても働きたいという方がいれば、果報者といえるが砂漠でダイヤモンドを探すより難しい。
誠心誠意尽くした結果、あるいは備わっている技量の全てを提供した結果というのは、最善を尽くし たものであり責められない。但し、陳腐化している診療であることを自覚しながらもそのまま施しているとしたら、それは悪徳医であり最も責められる。
何時の時代も人間の性質は変わらない、医者・歯医者であってもそれは変わるものではない、ということを教えるのが貝原益軒(1630~1714 年)の養生訓。その中には医者に上医・中医・下医ありと書かれており、上医は学ぶが故に適切な処方をするが、【下医は学ばないが故に薬を毒として飲ます】そのような医者に通院してはならない、と警告している。全国に約6.8万人強の歯科医院の院長が存在するが、全員が同じ臨床レベルではなく上医・中医・下医に分類されるということ。
時代の価値観が大きく様変わりし、尚かつ競合淘汰社会において下医が生き残れるでしょうか?下医にもそれなりの存在感というか役割があり、上医が上位として評価されるためには下医が必要ということ。市場はあくまでも過酷であり、市場は必要な存在しか生き残りを認めない、というのが市場の原理。
(以下略)

